「自己肯定感がない、自分が嫌い」そんなあなたに読んでほしい。


 2月9日の本会議、代表質問で「子どもの権利条約を生かした子どもの権利条例の制定」について質問しました。質疑では国連子どもの権利委員会が日本政府に対しての行った勧告の認識や、自身が国連でスピーチした内容を紹介し、子どもの権利委員会がどのような懸念を持っているかを伝えています。
 何度も報告の文章を書き上げようとしましたが、思いが強すぎてできませんでした。本日は議事録からたけこしと教育長のやりとりを抜粋して報告といたします。

■国連の勧告についての認識

○竹腰連
 日本は、1990年に子どもの権利条約に批准しました。この条約は、子供の固有の尊厳、今を幸せに生きる権利などを締約国に要請しています。しかし、日本は批准後に定期的に国連子どもの権利委員会から審査を受け、繰り返し是正勧告されています。これまで5回にわたる勧告がなされていますが、その中で一貫して指摘されているのが「高度に競争主義的な公教育の下でのプレッシャーによる発達のゆがみが、いじめ、 不登校、校内暴力、自殺などの要因になっている」そして「親及び教師などの子どもに接している大人との人間関係の荒廃が、情緒的幸福度の低さにつながっている」との指摘です。これらの国連の勧告に対して、教育長はどのような見解をお持ちなのか伺います。

○細田眞由美教育長
 議員お示しの是正勧告の1点目、高度に競争主義的な公教育制度の下で、プレッシャーによる発達のゆがみが様々な教育課題の要因になっていることに関しては、日本政府が平成29年6月、第4・5回日本政府報告のパラグラフ123におきまして、国連子どもの権利委員会に対し、委員会はまた高度に競争的な学校環境が就学年齢に当たる児童の間で、いじめ、精神障害、不登校、中途退学、自殺を助長している可能性があるとの認識を持ち続けるのであれば、その「客観的な根拠について明らかにされたい」と報告しており、因果関係について立証することは大変難しいところではございますが、私自身は一定の蓋然性があるのではないかと感じております。
 また、議員お示しの2点目、子供たちの情緒的幸福度が低下している要因である親及び教師などの子どもに接している大人との人間関係の荒廃については、国連子どもの権利委員会による過去4回の日本の政府報告書に関する総括所見においても、学校における体罰問題や家庭における虐待及び親子関係の悪化等様々な表現で示されており、とりわけ近年増え続けている虐待の問題は喫緊の課題であり、子供たちが健やかに成長し、幸せな生活を送るために、子どもに対する大人の関わり方が何よりも重要であることが明白でございます。私は、いじめや不登校等の要因となっている子どもたちのストレスや悩み、課題を解決していくことは、第一義的にも私たち教育に携わる者の務めであり、教師、保護者、地域が一体となって子どもたちに寄り添い、見守り、支援していくことが強く求められると考えております。
 子どもの権利条約の中でうたわれている生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利の4つの権利の中でも、私自身は参加する権利について注目しているところであり、さいたま市立学校で学ぶ児童生徒には、参加する権利を行使するための資質である自分の頭で考え抜き、発言する当事者意識を育てていきたいと考えております。
 今後も子供たちにとっての最善の利益を実現させるために、公立学校ができることは何かを考え、子どもたち一人一人が自らの可能性を最大限に発揮し、よりよい社会と幸福な人生を自らつくり出していけるよう努めてまいります。

■新自由主義的教育の特徴

○竹腰連
 ありがとうございました。 教育長が「蓋然性がある」ということで、一定の認識があるということで非常に安心しました。少し付け加えさせていただきますと、この勧告に対する政府の態度、先ほど教育長がおっしゃっていただいた通りですが、私の理解としては、差別、虐待、子供の貧困もしくはジェンダーといったいわゆる「古典的な人権侵害」については、確かに一定の理解を示し、その対策をとっています。本市でもそういったことを行っているかと思いますが、同時に内面的に子供を苦しめている、あえて「新しい人権侵害」と言わせていだきますけれども、この部分については、対策や認識が曖昧なのかなというのが現状だと思います。
 1998年に初めての国連の勧告がありました。そこから5回勧告されて、一貫して変わらないのが「競争教育の部分」なんですが、この背景は何なのかと考えてみたら、2000年代から新自由主義的な教育が強化され、子どもの施策全体が「企業で使える人材育成教育」を推し進めているのではないかと思っています。私自身もろにこの時代の教育を受けてきたので、身をもって実感しています。
 私の尊敬している教育学者の方が、新自由主義的な教育の特徴をまとめてくれました。その特徴は「競争と評価によって子供を早期に選別し、少数のエリートの子は日本のリーダー候補として優遇し、そうでない大多数の子は普通教育から放てきし、非正規雇用の単純労働者になる道を歩ませようとしている。加えて、子ども教師も日常的に規律や上意下達による命令や目標達成に縛られ、これに異を唱えたり、成果を出せない者は不適格あるいは駄目な者、こういうレッテルを貼られ排除される」と。
 こういう特徴に基づいた教育が、子どもたちに過度なプレッシャーをかけ、 冒頭に言いましたけれど、子どもの権利条約が要請している権利を逸脱していると、こういう状況があると思います。この新しい人権侵害についての認識、見解を伺いたいと思います。

○細田眞由美教育長
 竹腰連議員の再質問に対してお答えいたします。 このだび、この御質問をいただきまして、私自身も子どもの権利条約、そしてその背景にある 様々な課題等について、できる限り学んだつもりでございます。専門家の中には、今、議員御指摘のような新しい人権侵害という捉え方をしていらっしゃるという文献も読みました。これについても一定の蓋然性があると申し上げたいと思います。
 しかしながら、長いこと新自由主義的な考え方に基づいて行われてきた日本の学校教育が、今、 私自身はコロナ禍を経て大きく変わろうとしていると実感しております。私自身、それを実感しつつ、教育行政方針の中にも申しましたように、これまでの工業化社会の中で通用してきたそういう日本の学校教育については、今、まさに転換点であると認識しているところでございます。

■「自分が嫌いだった」国連のスピーチから

○竹腰連
 ありがとうございました。 私自身、この勧告に非常に強い思い入れがありまして、その理由は、実は2008年に行われた国連の第3回勧告に行ってきて、見てきました。なぜかというと、19歳のときに国際NGOに参加して、そのNGOの活動というのは、日本政府が国連から受ける審査に先立って、国連子どもの権利委員会に日本の子どもの現状をきちんと伝えて検討してもらうため、そのカウンターレポートを行うというものでした。その活動の中で、私自身が日本の子供の代表としてスピーチを行ってきました。
 私が国連で訴えてきた内容というのは、日本の多くの子どもが学齢偏重の競争教育で苦しんでいますということでした。自身の経験として訴えたのは、私自身が通っていた学校が、偏差値がそんなに高くなくというか、非常に低い学校だったので、常に周りからバカにされているような気がして、自分自身が非常に嫌いでしたという話をしました。
 それを一つ象徴するエピソードとして、私、野球部だったんですけれども、野球部のカバンというのは大きなボストンバッグで、高校の名前と自分の名前が入っているんです。それを持って電車に乗るのがすごく嫌で、どうしたらいいかなと思って、そうか、電車に乗らなければいいんだということで、自転車通学に変えました。毎日、片道15キロの道を自転車で3年間通いましたけれども、それくらい嫌だったということを国連で言ってきました。
 同時に、この中で強調したのは、私自身がそうだったんですけれども、日本の子供全体が学歴というステータスに合わせてキャラクターを演じていて、そのキャラクターが本当の自分自身とは異なるのに、そのキャラクターを演じなければいけないと。こういう苦しみがあるんだということを訴えたんです。

 このスピーチを聞いた国連の委員の方は「勇気を出してよく言ってくれた。あなたが訴えたのは、先進国ならではの問題で、これまでも私たちは、日本の子どもは、極度のプレッシャーが原因で二極化しているということを指摘してきた。一方は、大人の期待に応えられず、あなたのように自分自身を価値のないあるいは情けない人間だと考えたり、もう一方は周りに望まれる人間であろうとして、とにかく過剰に適応する。それに苦しんでいる。いずれも自分自身を隠したまま他者とつながることで、非常に空虚感を感じている」と言ってくれました。同時に「あなたにはこの問題を解決する責任がある」とまで言っていただきました。

 翌日、勧告の中で日本政府に対して、私の話を出していただきながら勧告につながったという経緯があって、本当に強い思いを持ってこの質問させていただいています。縁があってさいたま市議会で議員になることができまして、今日、代表質問という場で、教育長、そして市長にも私の考えを伝えさせていただきました。やはり新しい人権侵害があるという認識で、これからのさいたま市の教育に生かしてほしいと思っております。教育長の問題意識と重なる部分もあると思いますが、改めて見解をいただけますでしょうか。

○細田眞由美教育長
 竹腰連議員の再々質問についてお答えいたします。私、このたびの教育行政方針の中にも書かせていただきましたとおり、竹腰議員の育ってきたその時代、工業化社会の中で多くの知識をできるだけたくさん蓄えて、それをできるだけ早く外に出すことができる、そういった学力が求められてきた。まさにその時代です。しかし、今はそういった学力は逆に通用しない。それよりも、先ほど御答弁させていただきました自分の頭で考え抜いて、自分の意見を言えると。そして、社会参画できるという、そういう力が求められているということを認識しております。そういう力を子供たちにつけていけるさいたま市教育を目指したいと思います。

■子どもの権利条約を生かした「子どもの権利条例の制定」を

○竹腰連
 ありがとうございました。 答えにくい質問だとは思ったんですけれども、私自身の思いも含めて教育長に聞くことができて、非常によかったなと思います。
3番に行きますけれども、日本の子供の権利侵害があると指摘されている以上、これを克服し、子供たちの権利を保障していくためには、子どもの権利条約に基づいた子どもの権利条例が必要だと考えています。
(〜中略〜)
こういった条例を策定するときには、市長のリーダーシップが非常に大事になってくるのかなと思っています。ぜひ市長、一言いただけますでしょうか。

○清水勇人市長
 竹腰議員の再質問にお答えしたいと思います。子どもの権利条例の制定の必要性について、竹腰議員の思い入れと、また御意見、十分理解したつもりでおります。私たちも、子供たちは次代を担う社会の希望であり、そして宝であると思っております。今後、また引き続き先進事例の状況なども踏まえながら検討していきたいと思っております。

■最後にひとこと

 最後まで、議事録を読んでいただきありがとうございました。この質問はある意味とても勇気のいる質問でした。特に国連で行ったスピーチについて触れるかは最後の最後まで悩みました。いざ「やる!」と決めたのは質問直前のトイレの中でした。
 質問後の反響は予想を超えており、教育長や他会派の議員からも声をかけていただきました。今では「やってよかった」と思います。普段は共産党の質問に答弁しない市長もこの日ばかりは答弁に立ったのも印象的でした。
 私は、今でも同じような思いをして苦しみ、迷い、悩んでいる方々がたくさんいると思っています。でもその理由は霧のように掴むことができず、モヤモヤしているのではないでしょうか。そんなあなたの代弁ができればと思いこの質問に取り組みました。
 私の尊敬する教育学者である世取山洋介氏(2021年没)は「受容と応答の人間関係が必要」と訴え、子どもの権利条約の普及をすすめてきました。そんな恩師の思いを胸に引き続き、この問題に取り組みます。